難民天国スウェーデン~その実態に迫る②難民インタビュー(後編)

太陽が沈まない夏のスウェーデンからこんにちは!前編に引き続き、エレナが難民×スウェーデンシリーズ第二弾、スウェーデン在住アフガニスタン難民のハメドさん(27)へのインタビュー後編をお届けします。

前回は、ハメドさんがタリバンの誘拐・脅迫から逃げるため、一家でアフガニスタン脱出を試みたものの、自分だけ道半ばでアフガニスタンに送還され、その後再開した旅では無実の罪でイランの刑務所の中で5年間を過ごした、というところまでご紹介しました。

今回は、そんな彼が度重なる試練に負けず、スウェーデンにたどり着くまでの大冒険のお話です。旅の様子を収めた動画もありますので、長くなりますがどうか最後まで読んでいただけると幸いです。

ホビット以上の大冒険!試練に満ちた難民の旅路

試練①猛獣や銃撃を避けてのイラン横断

難民としての旅路の途中、イランにおいて麻薬密売という無実の刑で5年間投獄され、刑期を終えた後、すぐにハメドさんは家族が待つスウェーデンへの旅を再開しました。

アフガニスタン人はイランにおいて移動の自由が制限されているため、イランからトルコの沿岸まで、人目のつかない夜を中心に徒歩で山を越え谷を越え、森の中で野宿しながら旅を進めます。

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位置関係のおさらい

森や山には危険な野生の動物もいますし、流れの強い川を渡ったり、夜は人気のない場所で野宿するなど、当然ながら徒歩での旅はとても危険です。

また、イラン国境においては、イランを出ようとする難民達は見つかると容赦なく国境警備隊に撃ち殺されるそうで、そのために密航業者に大金を払い裏ルートを斡旋してもらうなど、恐怖におびえながらあの手この手で国境を越えています。

イランを陸路で越えなければならない分、シリア難民よりもアフガニスタン難民の方が危険で過酷な旅をしてると思います。

これが山越えの様子↓↓↓風邪ひいてるし、雪が残る山で軽装はきつい!

 

しかし、トルコについたところで、ハメドさんにはラッキーな出来事が起こりました。

なんと、ギリシャへ渡るためのゴムボートが出ているトルコ沿岸の街で、度重なる娘たちの誘拐未遂から逃れるためにアフガニスタンから逃げてきていた親戚の従弟(いとこ)一家と出会えたのです。

10歳の女の子や55歳のお父さんを含めた家族6人で、野宿をしながら2か月かけてアフガニスタンからトルコまで歩いてきたというたくましい家族です。ずっと一人で旅をしていた彼にとって、これは心強かったはず!
偶然の出会いに喜びつつ、いよいよ万全を期して、ハメドさんは二度目の欧州上陸を試みます。

試練②エンジン停止で沈没?!恐怖のゴムボートでの地中海航路

トルコからヨーロッパに行くには、陸から徒歩で行く方法や地中海を渡る方法がありますが、陸路の警備が厳しくなっているので、当時はトルコ沿岸からゴムボートで一番近いギリシャの島(レスボス島やキオス島など)に渡り、そこからフェリーでアテネに向かい、さらに北のドイツやスウェーデンを目指して旅するというのが一般的でした。

しかし、ギリシャからトルコへのボートは、よく転覆して死者を出している悪名高い危険なゴムボート。(外部リンク:参考記事

これが彼が乗ったボートの様子↓↓↓完全に定員オーバー

 

20数人乗りのボートに、60人以上乗せているので、事故が起きて当然といえば当然なのですが、運悪くハメドさんらが乗ったボートは沖でエンジンが停止、しばらくしてボートへの浸水が始まってしまうのです!

見渡す限りの大海原で、どんどん浸水が進む船内では、パニックに陥った人が海に飛び込んでいきました。そして、中東の内陸国出身で泳ぎなれていないにもかかわらず、真冬の海に飛び込んだ人たちは、目の前で次々に溺れて沈んでいったそう。。。

ハメドさん、ここにきて絶対絶命のピンチ!

しかしここで、運よく偶然通りがかったギリシャの沿岸警備隊がハメドさんらの乗ったボートを発見します!

この男、運がいいんだか悪いんだかよくわかりません。(笑)

結果的に、ハメドさんや親戚一家、その他ボートにギリギリまで残っていた人たちは無事救出され、ギリシャのレスボス島にたどり着くことができました。

エレナはこのレスボス島の難民キャンプでハメドさんと親戚一家と出会い、友達になるのですが、このことについてはまたいつか、別の記事で書きたいと思います。また、モリア難民キャンプの様子は、ギャラリー(公式キャンプ非公式キャンプ)展示してありますので、ぜひご覧ください!

それにしても、救援が来る前にパニックで海に飛び込み、亡くなった方もいらっしゃったことは大変悲しいことで、ご冥福をお祈りいたします。。。

沿岸警備隊による発見があと数分遅かったら、確実に全員溺れ死んでいたということを考えると、ハメドさんは今でも背筋が凍るそうです。

試練③3度の逮捕で振り出しに戻されながらの欧州国境越え

さて、ギリシャのレスボス島に到着した難民は、フェリーで首都アテネを目指し、そこから徒歩で欧州を旅します。
アテネからスウェーデンに行くルートとしては、ギリシャ→マケドニア→セルビア→ハンガリー→オーストリア→ドイツ→デンマーク→スウェーデンといった国々を通って進むのが一般的です。

しかし、2015年夏以降、難民が大量に押し寄せたことから、2016年に入ってからヨーロッパの国々は次々と国境を封鎖し始め、正式なビザがないと合法的に国境を通過できなくなってしまいました。

マケドニア国境も封鎖されたため、ギリシャとマケドニアの国境に近いイドメニという場所に大量の難民が滞留していたことはこのブログでも取り上げてきたとおりです。(参考記事はこちら

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国境封鎖でギリシャまでたどり着いても上のマケドニアに進めない。デンマークまでたどり着いてもスウェーデンまで進めない・・・

それでもヨーロッパは陸続き。国境が封鎖されても、国境周りに壁があるわけではありません。

偽造パスポートで飛行機に乗り直接希望の国に向かう、トラックの荷台で運ばれる、森の中をひたすら歩く・・・実は、国境付近の警備が薄いポイントを狙ったり、密航業者にお金を払って移動手段を手配してもらえば、さまざまな方法で旅のコマを進めることはできるのです。

レスボス島からアテネに移動したハメドさんは、まずはギリシャ隣国マケドニアにコマを進めようと、ドイツを目指す親戚一家と別れを告げて休む間もなく北上を開始しました。

しかし、ギリシャからスウェーデンへのアタックにおいては途中3回も警察に捕まり、出発地点であるギリシャまで強制送還されてしまうのです。これは萎える!

  • 1回目:最初に森を通ってマケドニア国境を越えた際は、ほどなく警察につかまり、警察から暴行を加えられた上でイドメニに送り返されました。
  • 2回目:諦めず次にマケドニア国境を越えたときは、数日旅をしたのちにマケドニアで捕まり、イドメニに送り返されます。
  • 3回目:3度目の正直で、今度ははるばるオーストリアまでコマを進めます!しかし運悪く、ここでも再び警察に止められ、今度はアテネに送還されてしまいました。
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「クソ、またギリシャかよ・・・」

俺はヨーロッパに全力で拒否されているのか・・・

さすがに3度目にアテネに戻されたときは、もう気持ちが折れそうになったとか。

むしろ3回も違法ルートでの危険な旅路に挑戦していることが脱帽で、従順な日本人なら「国境が封鎖された」と聞いた時点で諦めるのではないでしょうか。

しかし、そこは不屈の男ハメドさん。

密航業者の指示に従い、今度はルートを変更し、ウクライナを通ってロシアに進み、無事にモスクワで待っていた密航業者と落ち合うことができました!

なんだかマケドニアよりもロシアの方が警備は厳しいイメージですが、案外行けるんですね。めでたしめでたし。(って皆さんは密入国しちゃだめですよ!)

試練④最後の難行!(ほぼ)断水・断食・断光2週間、死のトラックによるスウェーデンへのドライブ

ロシアまでは徒歩で旅を続けたハメドさんでしたが、密航業者の手配により、ロシアからスウェーデンまでは一気にトラックで移動することになります。

陸路での移動に比べたら車で移動なんてラッキー!と思ったハメドさんですが、これがまさに三途の川がちらつく最後の難行となります。

昨年8月、オーストリアにおいて大量の密航中の難民がトラックの中で死亡していたという悲惨なニュースがありましたが、ハメドさんもまさに、密航業者によって手配された危険なトラックに乗り込んでしまったのです。

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難民を乗せていたトラック(C)ASSOCIATED PRESS

それがどのぐらい危険で過酷だったかというと、ハメドさんいわく、

ペットボトルの水2本のみの実質断水・断食、2週間真っ暗なトラックの荷台に座らされた状態で、ロシアからスウェーデンまで移動したそうです。

到着日など一切知らされず、ひたすらトイレも食料も十分な水もない真っ暗闇の中で、トラックの荷台で揺られる2週間・・・考えただけでゾッとします。

同乗していたアフガニスタン人男性は途中で何度も発狂しかけて外に出ようとしたそうなのですが、「ここで見つかってはまたふりだしに戻る!」とハメドさんは彼を必死でなだめました。

ストックホルムについたときには二人ともすっかり衰弱し、最期は意識を失ってそのまま病院に運ばれました。目が覚めてからスウェーデンにいる親戚に電話し、無事再会を果たせたということです。

・・・ん?ちょっと待った。人間って水なしでは3日〜1週間ぐらいで死ぬんじゃなかったっけ?しかも座った状態だとエコノミー症候群になるんじゃない?

あまりに仰天の内容でにわかに信じられず、さまざまな疑問が頭に浮かびますよね。私も半信半疑で聞いていましたが、死亡に至った類似事例があるのと、出発した日も記録していることから、多少の誤差はあってもだいたい本当なんだろうと思います。

大金を取っているにもかかわらず、難民をここまで命の危険にさらす密航業者への憤りを感じるとともに、ここから生還したハメドさんの気力・体力には本当に脱帽です。

そして現在〜スウェーデンでの安住

ハメドさんは今、スウェーデンでの難民申請を終え、ストックホルムで家族とともに安全に暮らしています。(スウェーデンにおける難民の待遇についてはこちら

5年前にスウェーデンに着いた兄弟は、スウェーデン語を身につけ、通訳として働いていたり、大学で勉強していたりと、地に足をつけて自立した生活を送っています。

ハメドさんはまだ難民申請中ですが、難民性を示す証拠も豊富で、なによりすでに難民認定を受けている家族がいるため、ほぼ確実に難民申請が通るとみられており、認定後の学業継続を目指して一生懸命スウェーデン語を勉強したり、体を鍛えたりと充実した生活を送っています。

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2016年7月、ストックホルムにて。

そんな彼に、将来の夢を聞いてみました。

将来の夢というものはここ数年考えたこともなかったので、よくわかりません。ただ、スウェーデンは本当に天国のような場所で、今自分がここにいることが信じられず、毎日のささいなことに幸せを感じます。1日でも早くこの社会になじんで、できれば中断していた学業を再開し、「普通の人生」を送りたいです。

日本で生活している私たちが当然と思えるような機会が与えられず、安心・安全のある生活ができてこなかった彼ならではの言葉ではないでしょうか。

今回ご紹介できなかったハメドさんとの出会いのストーリーや、紹介しきれなかったビデオ・写真などは、いつか番外編として書こうと思います!

 

さて、壮絶な人生を歩んできたハメドさんですが、難民の中にはさらに過酷な人生を送り、壮絶な旅を続けている人たちがたくさんいます。

日本からヨーロッパの難民問題に介入することは難しいですが、実はアジア・アフリカ出身者を中心に日本の中にも難民認定を待っている方々がたくさんいます。(難民支援協会のサイトでは日本にいる難民の事例がたくさん紹介されています!)

ハメドさんの事例を通して、日本のみなさんの中での難民に対する興味や理解が少しでも深まれば本望です。

最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました!


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