こんにちは!「難民ニュースまとめ」のコーナーです!
このコーナーも早くも三週目。今週はちょうど一昨日、イギリスのEU離脱が決定し、こちらドイツでもここ2日間そのニュースで持ちきりです。
僕のスコットランド人の同居人もこの結果に動揺を隠せていませんでした。。。
このBrexit問題で特に議論の対象となったのが、「移民問題」。今年で3年目を迎えたいわゆる「欧州難民危機」、これがこの議論に少なからず影響していたのは間違いないでしょう。移民・難民問題の根深さがまた大きく顕わになった例となってしまいました。
これに関する詳細については、昨日の朝日新聞の記事をご参照ください。
難民ニュースまとめ
先週はその他にも「世界の難民の日」があり、UNHCRの2015年の年次報告書が公表されましたね。それに関する詳細はこちらの記事で解説を行っていますので、そちらもぜひご覧ください。他にはどのような出来事があったのでしょうか?
6/20 (月)
【「難民の日」の悲しいニュース】
「シリア人権監視団」によると、シリア西部のトルコとの国境の村、ディリヤで、違法に越境しようとしたシリア難民に対しトルコの国境警備隊が発砲。子供を含め11人が死亡した模様。トルコ当局は事実を否定した。https://t.co/UO1NA3SfDa— 和の手を世界に – JFR (@wanotewosekaini) June 19, 2016
6/21 (火)
第二次大戦終了後、中東に避難していたギリシャ難民が帰還。その際500人を乗せた船で火事が起き、避難のために乗った救命ボートが転覆、33人が溺死した。
記事ではシリアを含めた中東諸国で難民として暮らしていた彼らの生活も書かれている。https://t.co/FsM8eVs0NA— 和の手を世界に – JFR (@wanotewosekaini) June 20, 2016
6/22 (水)
マレーシアで暮らすロヒンギャ難民の生活を収めた写真集。
彼らは差別や迫害を恐れるため、一生ロヒンギャ族のコミュニティの中で暮らすことがほとんどだとか。#難民 #ロヒンギャ #refugees #WRD2016 #マレーシア https://t.co/Q7Mk84kCkp— 和の手を世界に – JFR (@wanotewosekaini) June 21, 2016
6/23 (木)
昨日、シリア-ヨルダンの国境でISによる自爆テロが起き、ヨルダンの警備隊6人が死亡。これを受け当局は、シリア難民の中にテロリストが隠れてるとし、受入を中止している。ヨルダンの難民キャンプでは、現在も薬や食料等の物資不足が続いている。https://t.co/tNgmEntmmF
— 和の手を世界に – JFR (@wanotewosekaini) June 22, 2016
6/24 (金)
英国で難民申請が認められたスーダン難民がフランスから密入国の際、電車用トンネルを利用したとし懲役9ヶ月の有罪判決を受けた。しかしこれを1861年制定の法律を根拠にしている点から、他の難民達の同様の試みを抑止する意味があると見られる。https://t.co/s6di8UidAb
— 和の手を世界に – JFR (@wanotewosekaini) June 23, 2016
6/25 (土)
イタリア沿岸警備隊によると、今日1日で2000人以上の難民がリビア沖で救助され、昨日からすでに計7100人が救助された模様。今年に入り既に60,000人の地中海上で救助された難民がイタリアに運ばれ、受入施設はすでに限界を超えている。https://t.co/nfwdcbsKod
— 和の手を世界に – JFR (@wanotewosekaini) June 24, 2016
難民ニュース、ピックアップ記事
今週は歴史に焦点を当て、火曜日に紹介した第二次大戦中のギリシャ人難民の話を掘り下げて紹介したいと思います。
Twitterでの記事の紹介では、帰還の際に起きた悲劇を紹介しましたが、今回はその難民たちが中東の難民キャンプで送っていた生活を紹介したいと思います。
第二次世界大戦中、ナチスドイツとイタリア軍がギリシャを占拠した際、何万人ものギリシャ人難民がトルコやシリア、今日のパレスチナやエジプトへと渡り、難民キャンプで生活を送っていました。BBCの記事では、その過酷な逃避行で今日のコンゴ民主共和国のルバンバシまで渡った家族のストーリーが書かれています。

ギリシャ難民が暮らしていた、南パレスチナのNurseiratキャンプ。
難民たちは手書きのIDカードの着用を義務付けられていましたが、家族用、親のいない子ども、一人の女性、一人の男性と、居住区がキャンプの中で区切られた空間で生活していました。キャンプ職員の許可があれば外出も許され、今日は内戦で廃墟と化したシリアのアレッポのキャンプでは、難民が街で買い物や映画館を利用する光景が日常の一部となっていたそうです。難民たちの食事は軍が分け与え、難民たちの習慣や宗教に即した食事の配慮もなされていたようです。
難民たちのためのスペースも十分にあり、アレッポのキャンプでは女性たちが一緒に食事を作る部屋の提供まで可能であったようです。
受け入れ地での労働は、彼らには認められていませんでした。しかしキャンプの職員たちは彼らのスキルを活かそうと、画家や製靴、紡績などの仕事ができる場所を与え、彼らの時間の有効活用やわずかな収入を得る事ができるようにしました。
僕がイドメニのキャンプで見た光景が、70年前のアレッポにもあったんですね!

イドメニの難民が作ったワイヤーアート。ギャラリーより。
今日、500万人ものシリア人が住んでいた家を追われ、50万人が難民として登録されています。その多くはエーゲ海を危険な航海でギリシャへと渡り、現在も2万人以上がギリシャの難民キャンプで生活しています。
3年にも渡る難民生活を送っていた彼らギリシャ難民。同じ難民としての記憶が残っているためか、今日難民となっている人々の祖父母世代に自分たちが助けてもらった恩返しでもあるのか、そこに今日のギリシャ人の難民たちに対する暖かい対応があるのかもしれませんね。
記事の最後に、ギリシャ難民として中東で数年を過ごし、今日、シリア難民たちが渡ってくる様子を目撃しているMaria Chroniさんのコメントがあります。自分も難民であったことから、「過去の鏡を見ているようだ」と述べており、事の重みを再確認しました。

帰還船に乗り、故郷ギリシャを3年ぶりに眺めるギリシャ難民たち。
ギリシャ難民たちは第二次大戦終結後、大多数が無事に帰還しました。私たちもこの写真の帰還したギリシャ難民たちように、今日のシリア難民たちが、内戦が終わり、無事に船で故郷シリアの港町を歓喜しながら臨む写真を早くみたいですね。
今日は以上です!
今回は紹介した記事の他にPublic Radio Internationalに掲載されたギリシャ難民のストーリーを引用しています。
尚、掲載した写真は全て、連合国救済復興機関(United Nations Relief and Rehabilitation Administration (UNRRA))のアーカイブの写真を使用しています。戦時中の写真などがたくさん見られますので、ぜひのぞいてみてください。