リオ五輪 難民選手団の活躍!(その1)- 難民ニュースまとめ vol.10 (8/8-8/13)

みなさんこんにちは。日本に帰国したて、メンバーのアンドレです。

ドイツを発った日の朝は20℃だったのに、日本について早速35℃の洗礼を受けすでに帰って来たことを後悔しています。

 

難民ニュースまとめ

現在、絶賛時差ボケで昼夜が逆転しておりますが、その分オリンピックを楽しめています。笑

今週の「難民ニュースまとめ」難民×オリンピックの話題でてんこ盛りです!

8/8 (月)

8/9 (火)

8/10 (水)

8/11 (木)

8/12 (金)

8/13 (土)

 

難民ニュース、ピックアップ記事

今回はピックアップ記事という形ではなく、オリンピックに出場している10人の「難民選手団」の内5人のここまでの活躍を、彼らのプロフィールとともに紹介したいと思います!

まだ競技を行っていない他の5人につきましては、来週の「難民ニュースまとめ」で紹介しますので、少々お待ちください!

追記:残りの5人に関しては、リオ五輪 難民選手団の活躍!(その2)- 難民ニュースまとめ vol.11 をご覧ください!
開会式における難民選手団入場。彼らは開催国ブラジルの前に大きな歓声を受けた。 -URL: http://goo.gl/3Cjqy4

開会式における難民選手団入場。彼らは開催国ブラジルの前に大きな歓声を受けた。
URL: http://goo.gl/3Cjqy4

難民選手団に関しては、以前の記事も合わせて読んでみてください。

 

Yusra Mardini 選手 ー シリア出身 (競泳女子100m バタフライ, 自由形)

マルディーニ選手のストーリーは以前書いた記事でも紹介しましたが、彼女はトルコからギリシャのレスボス島へ渡る際、乗っていた船が故障し、お姉さんと一緒に3時間半も船を押しながら泳ぎ20人の難民の命を救ったことで話題になりました。

その後はドイツの首都ベルリンでトレーニングを受け、今回18歳という難民選手団最年少の若さでリオオリンピックに出場しました。

彼女は大会初日に女子100mバタフライに、5日目に100m自由形に出場しました。

両競技でも予選敗退ではありましたが、バタフライではグループ1位となる活躍を見せました!

 

Rami Anis 選手 ーシリア出身 (競泳男子 100m バタフライ, 自由形)

シリアのアレッポで生まれ育ったアニス選手は自身もシリア代表のオリンピック選手で叔父さんから指導を受け、2012年のロンドンオリンピックでも代表の有力候補と目されていました。

しかしシリア内戦が勃発したことで、お兄さんが滞在していたトルコのイスタンブールへと家族とともに渡ります。

「トルコには数ヵ月しか滞在しないと思っていた」と彼自身が述べたように、彼はシリアを去る際は小さなバッグに上着2枚、ズボン2枚に数枚のTシャツしか詰めていかなかったそうです。

しかし内戦は終結せず、結局4年もイスタンブールに滞在していました。

トルコの市民権を持っていなかった彼はもちろん水泳の大会に出場することは叶わず、お父さんが難民として渡ったベルギーへ弟とともに渡る決意をします。

ギリシャのサモス島へと渡った彼はそこから10日間、バスと電車を乗り継ぎベルギーのゲントへと到着。そこでIOCから難民選手団の1人に選ばれます。

リオ五輪では4日目の100mバタフライ6日目の100m自由形に出場し、両方とも結果は予選敗退でしたが、自由形では自己ベストを更新する力強い泳ぎを見せてくれました。

余談ですが、彼には憧れのマイケル・フェルプス選手と自撮り写真を撮りたいという野望があるらしいです。その結末からも目が離せません。笑

 

Popole Misenga 選手 ーコンゴ民主共和国出身 (柔道男子90kg級)

次に紹介するマビカ選手と同じく、ミセンガ選手はもともとコンゴ民主共和国の柔道代表選手でした。

しかしコーチからの暴力をともなうひどい指導、それに抗議するために数日に渡るハンガーストライキを行ったり、国際大会でメダルを獲得できなかった場合は房に閉じ込められるという仕打ちを受けていました。

それに1998年から2003年まで続いた第二次コンゴ内戦が加わり、2人は世界大会で訪れていたブラジルでチームを脱走。ブラジルに亡命申請を行いました。

会見で15年以上も会っていない家族のことを聞かれ、涙を流しながら「もし今誰かテレビで僕を観ているなら、お兄ちゃんはブラジルで元気に生きている」と家族へメッセージを送った。 URL: http://goo.gl/81JhRb

会見で15年以上も会っていない家族のことを聞かれ、涙を流しながら「もし今誰かテレビで僕を観ているなら、お兄ちゃんはブラジルで元気に生きている」と家族へメッセージを送った。
URL: http://goo.gl/81JhRb

そんなミセンガ選手は金メダルを獲得した日本のベイカー茉秋選手も出場していた柔道男子90kg級に出場しました。

2回戦から出場し、インドの選手相手に背負い投げを決め、有効を獲得。そのまま優勢勝ちを決め、ベスト16へと進みました!

準々決勝では前世界王者で、今回のオリンピックでは銅メダルを獲得した韓国の郭同韓選手に敗れましたが、力強い試合で滞在国ブラジルの観客からも喝采を浴びました。

 

Yolande Mabika 選手 ーコンゴ民主共和国出身 (柔道女子70kg級)

マビカ選手のストーリーはミセンガ選手とともに紹介しましたが、彼女はもともとコンゴ民主共和国の代表選手でした。

小さい頃から親から引き離され、スポーツの教育を受けていましたが、コンゴ代表のコーチの虐待に耐え切れず、世界大会で訪れていたブラジルのリオに亡命をしました。

そんなマビカ選手は、こちらも金メダルを獲得した日本代表、田知本遥選手が出場していた、女子柔道70kg級に出場しました。

1回戦でイスラエルの選手相手に敗れはしましたが、「自分の国のようだった」彼女も述べるように、リオの観客から大声援を受けていました。

試合後のインタビューで、「たくさんの人に好かれていると感じた。私はたくさんの国の人々を代表しており、私の勝利は彼らの勝利だ。私は負けてしまったが、代わりにポポレが勝ってくれたから幸せだ。私たちはたくさんの国々を1つにする1つのチームなのだから」と述べていたのが印象的でした。

 

Yiech Pur Biel 選手 -南スーダン出身 (陸上男子800m走)

ビエル選手は10歳の時、独立前の南スーダンの紛争から、2005年にケニアへと逃れました。

お父さんは彼が9歳の時に行方不明になり、家は村ごとスーダン軍によって焼かれ、お母さんが武装組織に連れていかれる際、最後に泣きながら「すぐに会えるから」と叫んでいたのを今でも覚えていると彼は述べています。

彼はその後、両親に会えていません。

彼の壮絶な半生はこちらのABCニュースの記事で紹介されています。興味のある方はのぞいてみてください。

その後はケニアのカクマ難民キャンプで暮らしており、UNHCRがキャンプで開催した難民たちの陸上大会で、10km走に裸足で出場、3位に入賞します。そして選考を経て「難民選手団」の1人になりました。

10ヵ月前までは靴を履いてトレーニングをしたこともなく、最初はトラックをどっち回りに走るのかも知らなったそうです。

7日目に陸上800m走に出場したビエル選手。結果は予選敗退でしたが、競技後にともに走った選手たちから祝福されていました。

 

まとめ

「オリンピックは参加することに意義がある」。オリンピックの精神とも言われる言葉です。

今日、メダル至上主義とも言われ、勝利してメダルを獲得することがオリンピックの意味になりかけている中で、参加し、難民たちの力強さを示している「難民選手団」の選手たち。

彼らこそが、このオリンピックの精神を真に体現しているように思えます。

今日は以上です!来週もまたお楽しみに!


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