みなさんご無沙汰です。現在イドメニキャンプで難民支援をしています。メンバーのアンドレです。
ここ2日、こちらギリシャのマケドニア地方では大雨が降り、テントが水没。同時に、クルド人とアラブ系のシリア人との乱闘が起き、ナイフを持ち出した者がいたため、重傷を負った人もいた模様です。ここイドメニキャンプは、3月の途中から見てきましたが、一週間前、久しぶりに訪れた時は、キャンプの住環境は改善されたと思っていました。しかし、ここ数日続く警察との衝突や、難民同士の乱闘などを見ていると、難民たちの心はこの数か月の内にどんどん荒んでいったように見えます。テントのすぐ側を通るだけで、お茶やご飯に招待してくれる、本当に親切な彼らが変わっていくのを見ているのは、耐えられることではありません。
今回は、イドメニキャンプにおける数々の問題点を書いていくつもりでしたが、こちらの状況が大きく変わり始めているので、内容を変更したいと思います。
記事のタイトルにもなっていますが、今日、イドメニキャンプは過去のものになると見られています。ここ数週間前から、ギリシャの警察がキャンプの撤去にかかるという噂があったのですが、昨日、僕が所属しているNGOも含めた、ほとんどのボランティアやNGOによる配給が禁止され、機動隊も数を増やし、それに乗じて集まったメディアに対しても、撤退勧告が出され、その噂が現実を帯びてきているためです。
キャンプの難民たちは、諦めて去る人もいれば、ヨーロッパを諦めきれず、現在も住み続けている人もいます。今日、警察が強制撤去にかかり始めれば、抵抗にでる難民もおり、必ず怪我人がでるでしょう。
僕、正直あまり政治的なことを書くのは好きではないです。ただ今回ばかりは、キリスト教の隣人愛の理念に基づき設立されたヨーロッパ連合における加盟国が、保護を求め、危険な陸路や海路を渡ってきて、こんな泥の大地にテントを張ることを余儀なくされる生活を強いられている人々に対して、助けの手を差し伸べるどころか、力づくで、彼らの生命を脅かす行動に出るのが、ノーベル平和賞を受賞した組織のすることなのか、と憤りが隠せません。

ダマスクスから来た、11歳の少女が書いた絵
この意見は、恐らくかなり主観的なものでしょう。計1ヵ月半もここイドメニのキャンプ過ごし、ここで難民の友だちがたくさんできました。だからこそ彼らが明日、警察の強制撤去の危険にさらされると思うと、じっとしていることすらできません。
僕がここでいくらきれいごとを書いても、読者の方に通じることはほとんどないでしょう。何を書いているんだと思うだけでしょう。正直、僕もみなさんのその気持ちに対しても、どうすることもできません。ここで過ごし経験したこと、感じたことを、ひたすら書き連ねるだけで精一杯です。
ただ一つ、これだけはみなさんにどうしても理解していただきたいです。難民、難民と呼ばれる彼らであっても、彼ら一人一人に人生があり、家族があり、愛する人がいる、私たちと変わらない「人」なんです。それが、ここのキャンプで知ることのできた一番のことです。
昨日、キャンプで生まれた生後一ヵ月赤ちゃんとその家族に会いました。ジャスミンとい名の彼女は、まだ首も座っておらず、すごく脆いものでした。しかしそれでも、彼女には重みがあり、息をし、命の温かみがありました。そんな他の赤ちゃんと変わらないジャスミンであっても、難民として生まれ、先の見えない将来を送らざるをえなくなっています。

キャンプで生まれた、生後一ヵ月のジャスミンと両親
ホテルに帰って、正義って何なんだ、なぜ僕にはしっかりとしたベッドがあり、きれいな水でシャワーを浴びられているのに、なぜイドメニの彼らは、辛い思いで故郷を後にしたにも関わらず、ここでさらに苦しまなければならないのかとずっと自問をし、ひたすら泣いていました。人間はなんて不平等なんだ、と。
こうしている今にも、警察の強制撤去が始まりそうで、何を書いていいのか、まとまらないまま、今の気持ちを書きたくりました。読みにくい記事になったことをご容赦ください。
僕は、ヨーロッパの難民の現状を日本のみなさんにも知ってもらうため、イドメニを過去の出来事として風化させないため、次回のブログからも、引き続き、イドメニキャンプでの経験を書いていきます。
イドメニの彼らが無事であること、日本のみなさんもお祈りください。