イドメニ難民キャンプ 完全攻略本

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ギリシャはただいま午前0時、チップスをぼりぼり食いながら(ギリシャのチップス、けっこうレベルが高いんですよ!)このブログを書いてます。
昨日と今日はイドメニとはまた別の軍営キャンプ、ニア・カヴァラという所で男性と子どもを対象に、靴の配給を行いました。難民の方々も、難民となって忘れていた”ショッピング”という感覚を久しぶりに楽しんでいるみたいで、「欲しい靴がない」やら、「サイズがやっぱり違うから、変えてくれ」と言う人も何人かいて、色々と大変でしたが、全体としてこちらまで楽しませてもらいました。ニア・カヴァラ難民キャンプの詳細も、後日書かせていただこうと思っていますのでお楽しみ!

ニア・カヴァラキャンプ

ニア・カヴァラキャンプ

では本題。今日は、イドメニ難民キャンプの概要を紹介していきたいと思います!行った人だから分かる、ニュースなどでは報道されない情報も書いてありますので、頑張ってスクロールして読んでください!(笑)

まずはイドメニという地名ですが、これはキャンプに接している、マケドニアとの国境検問所がある村です。人口は約400人で、主にマケドニア系の人たちが住んでいます。最初にイドメニの村に入った時は、昼間なのに窓は雨戸も閉められ、ひっそりとしている家もあれば、普通に庭に座りのんきにおしゃべりをしている家もあり、したたかな住民は、青果市を出して難民たちに販売していたり、さらには、難民を家に無償で泊めさせてあげている素晴らしい家もあります(詳細はこちらのUNHCRのビデオから)。まあ、この難民危機で有名になった村の人々も、捉え方は人それぞれなんですね。

そしてそこに隣接するイドメニ難民キャンプは、ギリシャでもアテネのピレウス港に並ぶ大規模な非公式難民キャンプで、一時期3月終わりは1万4000人を超えていたと言われていましたが、5月中旬現在は、9000人ほどの難民が暮らしています。国籍や民族は、多い順に、シリアやイラクに住むクルド人が約半数を占め、その後にアラブ系のシリア人とイラク人、その後にアフガニスタン人と続き、少数ではありますが、パキスタン人、イラン人、トルコ人、マグレブ諸国からの難民もあり、非常に多様な人たちが暮らしています。(しっかりとしたデータはありませんので、筆者の難民や他のNGOへの聞き取り調査の結果からの推測です)

キャンプの運営に対し、ギリシャ政府はほぼお金を払わず(強いて言うならたくさんいる警察官と、1日€20で働く清掃作業員くらいでしょうか)、主に「国境なき医師団」(以下、MsF)によって運営されています。彼らはメディカルテントはもちろん、子どもたちが中で遊べるテント、食料の配給、300人が入る住居用の大テントの整備など、人的、物的リソースで要の役割を果たしています。それ以外でも、“InterVol““Save the children““Intereuropean Human Aid Association“や、自分も参加していた“A Drop in the Ocean“といった多くの国際NGOが活動をしています。
本来指揮を執るべきはずのUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)の姿はほとんど見ることができません。しかし、毛布や、中くらいの1家族分のテントなどは、UNHCRの文字が入っており、多少の物資の援助や、難民申請関係のための大きなテントもあり、事務的作業はたくさんこなしています。やはり国連といった巨大な組織となると、官僚組織化してしまい、機動力にはかけるのかもしれませんね。あとは、イドメニキャンプを早く片付けたいギリシャ政府の顔も立てねばならず、それが活動の妨げにもなっているのでしょう。

次はキャンプの地区割りについてです。写真を参考にご覧ください!

イドメニキャンプ俯瞰図

イドメニキャンプ俯瞰図

イドメニキャンプは、南北に通る道路と、東西を走る線路によって大まかにエリア付けされています。MsFやUNHCRの本部テントがある地区をSiteA。キャンプの北西に位置するここ(俯瞰図では左上)が、キャンプ中枢部と言えるかもしれませんね。

イドメニキャンプ、SiteA

イドメニキャンプ SiteA

そこから線路の北に沿って伸びる道路の、左カーブが過ぎた後の向かい側の地域(説明難しい…)をSiteB、ここはいくつかの団体により、食料配給がよく行われる場所や医療テントがある場所とも重なり、いつも人でごった返しています。最近では、難民自らが営む出店や、コンテナのトイレも設置されて、僕の目からは、初期の頃に比べ一番発展した地域です。(俯瞰図では右上)

イドメニキャンプ SiteB

イドメニキャンプ SiteB

SiteAから線路を越え、道路の左側に見えるエリアがSiteC、ここはシリア人やクルド人が多く住むエリアで、タバコや生活用品、野菜や果物を売る小さなマーケットのようなものもでき、4月にいた時は一番活気のある地域でした。しかし、4/10の衝突の後、催涙弾を恐れ人がここからたくさん避難した関係で、5月の今は静かになっています。自分が所属していたNGOも主にここで配給を行っており、大テントのすぐ目の前で、4月はキャンピングカーから、現在はMsFによってコンテナが設置され、そこから配給を行っています。(俯瞰図では、縦に走る道路の右側)

イドメニキャンプ、SiteC

イドメニキャンプ SiteC

SiteAから伸びる道路の左手は、アフガン人が多く住むSiteDです。ここは草原にテントが張られており、僕の中では一番きれいな景色はここから見る事が出来ます。しかし、あまりにも草原に深く入り過ぎると、蛇やボランティアが”human snake”と呼ぶ、日本語でいえば「人間蛇(つまり、あれです。人間から出る茶色い蛇みたいなものです…あとはご想像にお任せします)」ですかね、それらがうじゃうじゃいるので、あまりピクニックに適しているとは言えなそうです。(俯瞰図では、SiteAとSiteBの間の地域)

イドメニキャンプ、SiteB

イドメニキャンプ SiteD

そしてSiteCの向かい側がSiteE、ここからはマケドニアの国境フェンスはすぐ目と鼻の先にあります。4/10の衝突の際、ここのエリアに住む人の中から、催涙ガスを吸って、多くの怪我人が出ました。(俯瞰図では、縦に走る道路の左側の地域)

イドメニキャンプ SiteE

イドメニキャンプ SiteE

そして、ABCがついていない、Train Stationエリアがあり、人々は線路沿いや、駅のプラットフォーム、さらに駅舎の裏の林にテントを張っており、ここの人たちは下手すると見つけるのはかなり難しいです。(俯瞰図では、右側にある大きな五角形)

イドメニキャンプ Train station area

イドメニキャンプ Train station area

毎日、NGOや他の独立ボランティアの人たちが食料や、物資の配給に来ていますが、それだけでは限りがあり、食いつないでいくことはもちろん難しいです。しかし、Western Unionという、国際送金サービスの会社がATMを開設したことにより、難民たちはイドメニの村でお金をおろすことができます。それで村の市場で食料を買っていることでなんとか食いつないでいるのが現状です。もしそのお金までなくなってしまったら、食料の配給がある程度しっかり行われる公式キャンプへ移動しなければなりません。つまりは、ギリシャ政府(EUとも言えるかもしれませんが)と、国境が開く希望を捨てない難民たちの我慢比べのような様相を見せているのが、イドメニ難民キャンプという場所です。

次回はキャンプにおける諸々の問題をあげていきたいと思います!今回は長くなりましたのでこの辺で、カリニヒタ!(ギリシャ語で「おやすみ」)

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